我々は地域密着型(笑)のおやじバンドである
ベイタウン中年バンド誕生秘話(その3)
/ ベイタウン中年バンドの秘密



結成してまだ2、3ヶ月というのに、ベイタウン中年バンドは、ベイタウンまつり2000に出演した後、ちょっとした人気者になった。世間が徐々におやじバンドがブームになってゆく先駆者的でもあったからだ。確かに当時、近辺でおやじバンドはそう多くはなかったはずだ。それと、我々は単におやじバンドだけではなく、地域の活動にも積極的に絡んだ。上は、当時、2年後に竣工するベイタウン・コアに何が必要かをちょうど議論している最中で、音響メーカーにお勤めのダイマンさんが音響の設計をしてくれることになり、ついでだからと、彼もバンドに引きずりこんだ。彼はトランペットをやっていた。2000年6月のことだった。ベイタウンまつり2000から約1ヶ月後。

そのダイマンさんが我々の仲間になってくれる前に、既にyoshiさんをはじめとして何人かがベイ中のメンバーとして活動してくれていた。活動と言っても、ベイタウン内のレストラン等に集まって、酒を飲みながら音楽談義をしているだけだ(写真右)。でも、それがめちゃくちゃ楽しかった。メンバーはどんどん増えていった。ダイマンさんの会社の仲間のタカハシさんも参加してくれた。彼はドラムを担当してくれた。(笑)

ベイタウン中年バンドは初期の頃から活動の予告、記録をホームページに公開していた。最初は地域活動とごっちゃになっていて、主にずっきーがホームページを運営していたのだが、途中で、ベイタウン中年バンド公式(笑)ページとしてリニューアルし、yoshiさんが担当してくれた。当時、アマチュアのバンドでホームページを持っているところってそう多くはなかったので、ますます注目された。

またバンドとは別個に「俺達のホームページ」というベイタウンのポータルサイトを立ち上げた。管理人はずっきーで、その殆どを彼がこつこつとコンテンツにまとめてくれた。ネーミングは実は私の発想で、文字通り俺達のホームページなのである。なんのこっちゃ。もちろん、我々が青春時代を送っていたときに流行っていた「俺達の旅」というのが根底にある。そのずっきーも今や鬼籍に入ってしまい寂しい限りだ。


ベイタウンまつりから6月の終わりくらいにかけてどんどんメンバーが集まってきてくれた。掲示板等のメンバー募集の呼びかけに反応してくれたのだ。それだけバンドをやりたいと思ってくれてたんっすね、皆さん。有難かった。末永くよろしくお願いしますのだ。

そうして我々はミーティングと称して会っては飲んでいた。(笑)
規約なんてない。
一緒に遊べれば、一緒に音楽をやればそれで仲間なのだ。


2000年7月9日、ベイ中始まって以来のスタジオ(北習志野の伊藤楽器)練習をした。いやはや、めちゃくちゃだったけど、楽しかった。yoshiさんもこのときはじめてギターを持って参加してくれた。

右はドラムの山ちゃん。

練習が終わり一段落してからセントラル・パーク・ウエストにあるイタリアンの店「ローズベイ・ハート」の屋外に置いたテーブルで、カールスバーグを飲みながら歓談。(右の写真)
同店のオーナーは、ウエスギさん。前述の通り、「幕張で国際的な音楽祭を」の共同提案者であり、ベイ中の良き理解者でもある。
最近全然お会いしていないが、お元気でいらっしゃるだろうか。

懐かしい。

また、この日の2日前にはずっきーと私と、ジャイネのマヤさんたちと一緒に栗本修のバンド「クロニック」のライブを観に行っている。栗本と私は旧知の仲であるが、そのライブを観に行ったことがきっかけとなり、ベイ中とクロニックがいい感じで関連が出来る。

その後、2000年の夏。
8月にベイ中をかなり有名にし、また、新検見川ブルースが有名になるきっかけのNHKテレビの取材がある。この続きは後ほど。

2012.10.17



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